Now Loading ...
令和6年(2024年)11月 ~
当館では、一般のお客様を対象に毎週日曜日午後2時の映像終了後に朗読を行っております。
令和6年11月の予定は下記の通りです。時間は前後する場合がございます。あらかじめご了承ください。
急遽、中止となる場合もございます。朗読をご希望のお客様は、お手数ですがお電話にてご確認くださいますようお願い申し上げます。
【朗読スケジュール】
11月 3日(日) 予定通り
11月 10日(日) 予定通り
11月 17日(日) 予定通り
11月 24日(日) 予定通り
■問い合わせ先
筑前町立大刀洗平和記念館 TEL:0946-23-1227
令和6年(2024年)9月21日(土)~令和6年(2024年)12月1日(日)
令和6年(2024年)6月1日(土)
筑前町合併20周年記念イベントとして、6月1日(土)にめくばーる町民ホールで山崎貴監督のトークショーが開催され、町内外約400名の聴衆が集い、熱気に包まれました。
当館に展示している震電(実物大模型)は「ゴジラ-1.0」の撮影のために製作され、その後筑前町が購入し、2022年7月から常設展示を行っています。トークショーでは「筑前町が撮影終了後の買い取りに手を挙げてくれたから、実物大模型を作ることができた。感謝しています」など震電製作にかかわる秘話も披露されました。
トークショーを前に、監督は大刀洗平和記念館に来館され、再会を待ちわびていた震電(実物大模型)をはじめ零戦三二型・九七式戦闘機など熱心にご見学いただきました。山崎監督のご来館は2013年12月の「永遠の0(ゼロ)」記者会見以来、約11年ぶりとなります。
ご多忙の中、ご来館いただきありがとうございました。
令和6年3月~
2024年3月8日、『ゴジラ-1.0』が日本アカデミー賞作品賞など8部門で最優秀賞を受賞しました。また、11日にはアメリカ・アカデミー賞視覚効果賞を受賞しました。当館にて常設展示している震電(実物大模型)が劇中に登場した作品です。山崎貴監督をはじめ、多くの関係者の皆様、誠におめでとうございます。コロナ禍の中での撮影など、大変なご苦労があったことと思います。心からお祝い申し上げます。当館に展示している震電も、受賞を受け、誇らしげにその雄姿を多くの方々にアピールしております。
現在開催中の企画展「異端の翼 震電」では、『ゴジラ-1.0』撮影風景のスチール写真などを展示中で、会期も2024年5月9日(木)まで延長しました。なお、震電は常設展示です。企画展終了後も引き続き展示いたします。
令和5年(2023年)10月3日(火)~11月30日(木)
令和5年10月3日から11月30日まで実施いたしました「大刀洗飛行場の足跡を残す、掩体壕を未来へ!」プロジェクトに、多くのご支援をいただき、心より感謝申し上げます。
ご支援に感謝し、掲載を希望されたご支援者様のお名前を掲載させていただきます。(※敬称略)
■ご支援者一覧はこちら
お名前がもれている等ございましたら、誠に申し訳ございませんが当館までご連絡くださいますようお願い申し上げます。
■お問い合わせ先
筑前町立大刀洗平和記念館
TEL 0946-23-1227
FAX 0946-23-9009
メール tachiarai-heiwa@jewel.ocn.ne.jp
令和4年(2022年)7月~
福岡で開発された幻の戦闘機 「震電(しんでん) J7W1」 実物大模型 展示!
令和4年(2022年)7月6日~
「震電」は、終戦間際に九州飛行機株式会社で、米軍爆撃機B-29の迎撃用として開発された海軍の局地戦闘機です。前翼型(エンテ型)といわれる形状で、胴体後部にプロペラのある特異な形を特徴とした戦闘機です。
試験飛行まで行われましたが、実戦に使われることなく終戦を迎え「幻の戦闘機」と呼ばれています。国内にはその機体は残っていません。
「震電」実物大模型は航空技術発展のシンボルとして令和4年7月6日から常設展示しています。
購入・設置等費用の一部は令和4年に実施したクラウドファンディング幻の戦闘機「震電実物大模型展示」プロジェクトを通し、たくさんの方々からご支援いただきました。皆様のあたたかいご支援に心より感謝申し上げます。
令和4年(2022年)6月28日(火)~8月26日(金)
令和4年6月28日から8月26日まで実施いたしました「幻の戦闘機・震電(実物大模型)展示」プロジェクトに、多くのご支援をいただき、心より感謝申し上げます。
ご支援に感謝し、掲載を希望されたご支援者様のお名前を掲載させていただきます。(※敬称略)
■支援者一覧はこちら
お名前がもれている等ございましたら、誠に申し訳ございませんが当館までご連絡くださいますようお願い申し上げます。
■問い合わせ先
筑前町立大刀洗平和記念館
TEL 0946-23-1227
FAX 0946-23-9009
メール tachiarai-heiwa@jewel.ocn.ne.jp
令和6年(2024年)8月20日(火)~9月19日(木)
福岡県では、戦後79年を迎え、戦争を体験した世代が高齢化し、減少する中、悲惨な戦争の記憶を風化させないよう、その教訓とともに、平和の尊さを次の世代に継承していくために、県民の皆さまから寄贈いただいた貴重な資料を展示する「戦時資料展」を平成元年から毎年県内各地で行っています。
8月20日から9月19日まで筑前町立大刀洗平和記念館で開催します。
■主催:福岡県
■共催:福岡市、筑前町
令和6年(2024年)6月1日
昨年11月に公開され大ヒットした東宝『ゴジラ-1.0』。この作品の映画監督、山崎貴さんのトークショーが本町(福岡県筑前町)で行われます。映画の撮影には当館に展示している震電(実物大模型)も使われました。
■主催 筑前町生涯学習課
令和5年(2023年)11月3日(金・祝)~ 令和6年(2024年)5月9日(木)
海軍・局地戦闘機「震電」。戦時中、米軍のB29など高高度爆撃機の迎撃用として開発されました。その開発、製造を担ったのが福岡にある九州飛行機株式会社でした。前翼(エンテ)型の独特の機体、エンジン・プロペラは機体後部に配置され「異端の翼」とも呼ばれました。震電は実戦配備されることなく試作機の段階で終戦を迎えました。大刀洗平和記念館では令和4年(2022年)7月から震電(実物大模型)を常設展示しています。当企画展では当時の震電開発経緯やその特徴を紹介し、使命感を持って進めた技術者の思いに触れます。また、『ゴジラ-1.0』コーナーでは、撮影風景のパネルや中村泰三さん(映画の協力者)所蔵の美術・小道具(※期間限定)の展示を継続して行います。
令和6年(2024年)3月27日(水)
昭和20年(1945年)3月27日、31日、米軍の爆撃機B29による空襲で大刀洗飛行場は壊滅状態となり、小学生を含む多くの犠牲者が出ました。その犠牲者への追悼と平和への祈りをこめて、下の日程で献花とキャンドル点灯及び零戦のライトアップを行います。
(キャンドルのメッセージは近隣の小中学校の生徒の皆様とご来館のお客様にご協力をいただいています。)
【第28回平和の碑のつどい】
令和6年3月27日(水)10:00~12:00
平和の碑にて献花(筑前町依井・熊ヶ山 国道386号バイパス沿い)
【第13回ピースキャンドル】
令和6年3月27日(水)18:00~20:00
零戦前広場にてピースキャンドル点灯&零銭ライトアップ
令和5年(2023年)10月6日(金)~11月30日(木)
10月3日に始まった本クラウドファンディングは、11月30日23時に終了しました。
最終日までに、379名(代理支援を含む)の方々からあたたかいご支援をいただき、寄附総額は699万円となりました。
ご支援いただいた方々、また情報の拡散等ご協力いただいた方々のおかげで目標を上回る寄附総額でプロジェクトを達成させることが出来ました。本当にありがとうございました。
いただいたご寄附は、「掩体壕」を貴重な戦争遺跡として保存し、平和学習、歴史学習のためのフィールドワークや戦跡見学の拠点として活用するための費用に充てさせていただきます。
「掩体壕」の一般公開は令和7年度を予定しております。皆様のご見学については今しばらくお時間を頂戴いたしますが、ご了承ください。
皆様からいただいたたくさんのあたたかいメッセージはわたしたちの励みとなりました。スタッフ一同感謝の気持ちでいっぱいです。あらためまして感謝を申し上げます。
今後とも大刀洗平和記念館をどうぞよろしくお願いいたします。
筑前町立大刀洗平和記念館 館長 尾籠 浩一郎
令和5年(2023年)4月26日(水)~10月31日(火)
令和5年4月26日(水)より、『滝沢聖峰空戦漫画展』を開催いたします。 滝沢聖峰は主に戦記漫画を手がけ、その中には多くの航空機が登場します。戦争という極限状態に置かれたパイロットや整備兵、そして家族などの心情が丁寧に描かれ、航空機も克明に描写されています。戦時中、多くのパイロットが訓練を行った大刀洗。時代考証にこだわった滝沢作品を通じて、戦争と平和、航空技術について伝えます。
令和5年(2023年)1月1日(日)~4月23日(日)
令和5年1月1日(日)より、企画展『マンガとモノが語る シベリア抑留Ⅱ』を開催いたします。戦後、シベリアなど酷寒の地に抑留され、強制労働を課せられた抑留者は約57万人。日本への帰国がかなわず命を落とした人も、5万人を超えています。大刀洗平和記念館では2019年6月に平和祈念交流展【マンがとモノが語る シベリア抑留】を開催し、抑留の事実を伝えてきました。今回、新たな資料を加え、企画展【マンガとモノが語るシベリア抑留Ⅱ】を開催します。
令和5年(2023年)3月27日(月)
昭和20年(1945年)3月27日、31日、米軍の爆撃機B29による空襲で大刀洗飛行場は壊滅状態となり、多くの犠牲者が出ました。その犠牲者への追悼と平和への祈りをこめて、熊ヶ山での「平和の碑のつどい」を行います。また、当館では献花とゼロ戦のライトアップ及びキャンドル点灯を行います。
(キャンドルのメッセージは近隣の小中学校の生徒の皆様とご来館のお客様にご協力をいただきました。)
令和4年(2022年)3月19日(土)~12月18日(日)
太平洋戦争中、多くの若者が、愛する故郷、愛する家族を守るために、戦場へと赴きました。作戦に忠実に従った者、特別攻撃の命を受け勇ましい言葉を遺した者、戦場に向かうための訓練中に不慮の事故に遭った者、戦争により多くの命が失われました。本企画展では、戦争に翻弄され将来を断たれた若き陸軍航空兵の遺品を通じて、彼らが遺した軌跡をたどります。その声に耳を傾けてください。
令和4年(2022年)3月27日(日)
令和4年(2022年)3月27日(日)に予定しております「第26回平和の碑のつどい」(筑前町熊ヶ山)は、新型コロナウイルス感染予防及び拡散防止のため式典を中止とし、献花台(10~12時)のみ準備いたします。なお、同日夕方、当館で開催予定の「ピースキャンドル」の屋内イベントは中止とし、屋外のキャンドル点灯を予定しております。
令和3年(2021年)7月10日(土)~8月31日(火)
戦争で原爆を経験した被爆者の方々が、生きて繋いだ命が記録された1枚の家族写真。家族の中で語られた被爆体験と共にご紹介します。
【堂畝 紘子 氏(写真家)】
1982年生まれ。広島市出身。美學校岡山校 銀塩写真講座上級 修了
2000年 太平洋戦争の国内戦跡の記録撮影を開始
2013年 独立。こはる写真館 開業
2015年 広島・長崎の原爆被爆者家族の撮影を開始
2018年 西日本豪雨災害で被災
2019年 被災記録作品「椰子と生きる」視点奨励賞 受賞
令和3年(2021年)7月1日(木)~8月15日(日)
広島の平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルで、2歳で被爆し10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子さんの一生を通して、平和の大切さを伝えます。
【佐々木 禎子 さん】
昭和18年(1943)1月広島に生まれる。昭和20年(1945)8月6日、広島に投下された原子爆弾によって、爆心地から1.7㎞離れた自宅で被爆。爆風で吹き飛ばされたが、やけどやけがはなかった。
小学6年生の時に首や耳の後ろにしこりが出来、顔がおたふく風邪のように腫れあがる。その後白血病と診断され、昭和30年(1955)2月広島赤十字病院に入院。中学校に進学したものの一度も通学出来ないまま、同年10月25日、家族に見守られながら12歳でその生涯を閉じる。
令和3年(2021年)4月3日(土)~8月31日(火)
沖縄・古宇利島沖の水深約40mの海底に眠る米駆逐艦エモンズ。そのエモンズに体当たり攻撃を行った九八式直接協同偵察機(以降、九八式直協)のエンジンも、その近くに眠っています。九八式直協を操縦していたのは、大刀洗陸軍飛行学校の教官らで編成された特別攻撃隊「誠第36・37・38飛行隊」の26名でした。
海底に眠るそれらの戦争遺跡を九州大学 浅海底フロンティア研究センター・菅浩伸教授らの研究グループが調査、研究。これまでの活動によって作成された※USSエモンズの詳細な三次元モデルや判明した事実などを紹介するとともに、誠第37飛行隊の小林隊長が遺した日記を通して飛行隊編成から出撃までの動向、その心境に迫ります。
※USS…United States Ship(アメリカ海軍艦船)
4館 ※詳細は各施設にお問い合わせください。
九州大学浅海底フロンティア研究センター【パネル展:7月27日(火)~8月6日(金)】※延期となりました。
知覧特攻平和会館【企画展:7月22日(木)~9月30日(木)】
沖縄県立埋蔵文化財センター【企画展:10月12日(火)~11月28日(日)】
筑前町立大刀洗平和記念館
令和3年(2021年)8月7日(土)
「原爆の子の像」のモデル佐々木禎子さんの実兄・佐々木雅弘氏による講演会を開催致します。
【佐々木 雅弘 氏(特定非営利活動法人SADAKO LEGACY理事長)】
佐々木禎子さんの実兄で、自身も禎子さん、母、祖母とともに被爆。現在は、禎子さんから
受け継いだ「思いやりの心」を多くの方々に伝えようと、日本のみならず世界各国で講演活
動を行っている。
また、禎子さんの遺品である折り鶴を、当館の他禎子さんの母校である幟町小学校(広島市)、
沖縄市、アメリカ(アリゾナ記念館)やイランなど世界中に寄贈している。
令和3年(2021年)4月3日(土)~8月31日(火)
第二次世界大戦を起因とし、現在も海底に眠る日本の船、航空機、潜水艦に、実際に潜り撮影をし続けた一人の写真家の記録。
この水中写真展を通して、戦争について、また平和について改めて考えるきっかけとなることを願います。
【水中写真家・戸村裕行氏】
世界の海中を巡り、大型海洋生物からマクロの生物まで、様々な海中景観を撮影し続けている水中写真家。生物の躍動感や海の色彩を意識した作品は、ウェブやダイビング誌、カメラ誌などを中心に発表されている。また、一つのライフワークとして過去の大戦を起因とする海底に眠る事となった日本の艦船や航空機などの撮影を世界各地で続け、現在までにその数は100程になる。その取材内容はミリタリー総合誌、月刊「丸」にて毎月連載を続けている。
令和3年(2021年)7月31日(土)
令和2年5月から令和3年2月にかけて西日本新聞にて連載された「四人の証言~大刀洗飛行場物語」が書籍化され、「特攻隊員と大刀洗飛行場」と題しPHP研究所から7月中旬発刊されます。
発刊記念と致しまして安部龍太郎氏の講演会&サイン会(書籍販売)を開催致します。
※サイン会(書籍販売)は、講演会終了後(休憩をはさんで)に行います。
【安部龍太郎氏】
1955年6月 福岡県八女市(旧・黒木町)生まれ。
久留米工業高等専門学校機械工学科卒。
東京都大田区役所に就職、後に図書館司書を務める。その間に数々の新人賞に応募し「師直の恋」で佳作となる。
1990年 「血の日本史」で文壇デビュー。
作品に「彷徨える帝」「関ケ原連判状」「信長燃ゆ」「維新の肖像」「姫神」など多数。
2005年 「天馬、翔ける」で第11回中山義秀文学賞を受賞。
2013年 「等伯」で第148回直木賞受賞。
2015年 第23回福岡県文化賞創造部門受賞。
2020年5月~2021年2月 西日本新聞にて『四人の証言~大刀洗飛行場物語』を連載。
2021年7月 『特攻隊員と大刀洗飛行場』発刊
令和3年(2021年)6月26日(土)
九州大学 浅海底フロンティア研究センター 菅 浩伸教授を講師に迎え講演会を開催いたします。
【講師:菅 浩伸教授(九州大学 浅海底フロンティア研究センター長)】
35年以上にわたりサンゴ礁をはじめとした沿岸域の地形研究を行う。2010年以降はマルチビーム測深機(音波探査装置)を使用した沿岸浅海域の海底地形の可視化を進めており、これまでに琉球列島をはじめとした日本沿岸海域での測深を実施している。
これらの研究を基に、2016年に九州大学に「浅海底フロンティア研究センター」を開設。沖縄・古宇利島沖に沈む米駆逐艦エモンズの調査・研究では、マルチビーム測深による詳細な海底地形図の作成とともに、自ら潜って撮影した水中写真を基にフォトグラメトリー技術を使って船体の三次元モデルを作成。その後、米国側の戦闘詳報などと照らし合わせるなど、当時の事実を追究している。
令和3年(2021年)4月3日(土)
初日の4月3日(土)、水中写真家・戸村裕行氏によるギャラリートークを開催致します。
※新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点から、会場は展示室ではなく、新館・多目的室で行います。
【水中写真家・戸村裕行氏】
世界の海中を巡り、大型海洋生物からマクロの生物まで、様々な海中景観を撮影し続けている水中写真家。生物の躍動感や海の色彩を意識した作品は、ウェブやダイビング誌、カメラ誌などを中心に発表されている。また、一つのライフワークとして過去の大戦を起因とする海底に眠る事となった日本の艦船や航空機などの撮影を世界各地で続け、現在までにその数は100程になる。その取材内容はミリタリー総合誌、月刊「丸」にて毎月連載を続けている。
令和3年(2021年)3月27日(土)
昭和20年(1945年)3月27日、31日、米軍の爆撃機B29による空襲で大刀洗飛行場は壊滅状態となり、小学生を含む多くの犠牲者が出ました。その犠牲者への追悼と平和への祈りをこめて、ゼロ戦のライトアップ及びキャンドル点灯を行います。
(キャンドルのメッセージは近隣の保育園、小・中学校の生徒さんにご協力をいただきました)
令和3年(2021年)3月27日(土)
令和3年(2021年)3月27日(土)に予定しております「第25回平和の碑のつどい」(筑前町熊ヶ山)は、新型コロナウイルス感染予防及び拡散防止のため中止とし、献花台(10~12時)のみ準備いたします。なお、同日当館で開催予定の「ピースキャンドル」の屋内イベントは中止とし、屋外のキャンドル点灯を予定しております。
令和2年(2020年)11月28日(土)~令和3年(2021年)1月21日
知覧特攻平和会館及び当館の資料パネル展が、11月28日より東峰村・保健福祉センターいずみ館をスタートに、筑前町、朝倉市を巡回して開催されます。
この機会に是非ご覧ください。
令和2年(2020年)7月23日(木・祝)~9月22日(火・祝)
知覧特攻平和会館・万世特攻平和祈念館・大刀洗平和記念館は、旧日本陸軍の航空機による特攻について展示している施設です。3館を運営する鹿児島県南九州市・鹿児島県南さつま市・福岡県筑前町は、平成31(2019)年4月に連携協定を結びました。協定を結んで初めてとなるこの交流展では、3館が展示している海底から引き揚げられた航空機についてパネルでご紹介します。
■知覧特攻平和会館:海軍零式艦上戦闘機
■万世特攻平和祈念館・海軍零式水上偵察機
※万世特攻平和祈念館のみ、会期が8月22日(土)までとなります。(リニューアル工事のため)
■大刀洗平和記念館:陸軍九七式戦闘機
令和2年(2020年)2月2日(日)~8月30日(日)
横山忠正氏は、特攻花を求めて平成29(2017)年に喜界島(鹿児島県)を訪れます。特攻隊員たちが最期に見たであろう喜界島の海、空、月光。そして特攻花(テンニンギク)を見た瞬間、特攻花を描きたいと感じ、その後数多くの作品を描いています。
横山氏の描く特攻花は、特攻隊員の魂を表現したもので、様々な表情をしています。喜界島の風景もまた、その表情に合わせて姿を変えています。
平和のシンボルとしてこの花が存在することを伝えていきたいと語る横山氏。作品に込められた平和の尊さを多くの方々に知っていただける機会となることを願っています。
※喜界島の歴史を、パネル「太平洋戦争と喜界島」と実物資料でご紹介します。
(提供:喜界町歴史民俗史料室)
■横山忠正氏プロフィール■
昭和26(1951)年 山形県山形市生まれ
昭和53(1978)年~ ヒマラヤ山脈の4,500m地点に咲く、雪蓮を描く
ボルネオ、ダヤク村のジャングルの奥地に咲く黒蘭を描く
世界中の花を追いかけ、花の肖像画を描く
東京やニューヨークを拠点に個展を開催
様々な展覧会で入賞、授賞
平成28(2016)年 特攻花の存在を知る
平成29(2017)年~ 幾度となく喜界島を訪れ、特攻花を描く
平成31(2019)年 久留米市(モトマツギャラリー)にて特攻花絵画展を開催
令和 元(2019)年 喜界島(喜界町中央公民館)にて特攻花絵画展を開催
■テンニンギク(特攻花)■
キク科テンニンギク属の一種。
第二次世界大戦末期、特攻隊の中継基地だった喜界島。島の女性たちが、喜界島から飛び立つ若き特攻隊員にテンニンギクを贈っていたことから、鹿児島県などではこの花を「特攻花」と呼ぶようになったと言われています。
現在も喜界空港(旧:喜界島飛行場)周辺には多くのテンニンギクが咲いています。
■KODAI(土岐宏大)氏プロフィール■
喜界島在住、シンガーソングライター
平成18(2006)年 兄弟デュオdokidokiとしてデビュー。CMやテーマソングを多数手がける
平成23(2011)年 ソロ活動に転向。音楽を通して喜界島を伝えるメッセンジャー。MBCラジオ「あまみじかん」(毎週日曜夕方5時半~)のパーソナリティーも務める
令和2年(2020年)3月27日(金)
令和2年(2020)年3月27日(金) に開催を予定しておりました「第24回平和の碑のつどい」(筑前町内熊ケ山)は新型コロナウイルス感染予防及び拡散防止のため中止とし、献花台(10時~12時)のみ準備いたします。なお、同日当館で開催予定の「ピースキャンドル」も中止とさせていただきます。
令和元年(2019年)10月1日(火)~ 令和2年(2020年)1月31日(金)
大刀洗飛行場で開隊した飛行第四戦隊(航空第四大隊→飛行第四大隊→飛行第四連隊→飛行第四戦隊)。その歴史を、寄贈された写真や戦時資料で紹介します。
また、漫画家・松本零士氏の父・松本強氏は飛行第四連隊に所属し、パイロットとして活躍されていました。父の生きざまに大きな影響を受けて育った零士氏。父への想い、また大刀洗への想いを、松本零士氏の世界を通して伝えます。
令和元年(2019年)11月16日(土)
戦争の傷跡に触れ、平和の大切さを感じ取っていただくために、戦跡フィールドワーク(戦跡めぐり)を下記の通り開催致します。皆様の参加をお待ちしております。
令和元年(2019年)10月14日(月・祝)
かつて「東洋一」と謳われた大刀洗飛行場は第一次世界大戦が終結した翌年の大正8年(1919年)に完成。西日本における陸軍の航空拠点として次々と関連施設も開設されました。本年は開場して100周年にあたります。また、その跡地に平成21年(2009年)に開館した大刀洗平和記念館も10周年となります。それを記念して下記のとおり記念式典を行います。
令和元年(2019年)10月8日(火)~10月15日(火) / 令和元年(2019年)10月14日(月・祝)
直筆画・版画・セル画など約40点を展示(購入可)します。
※漫画家・松本零士氏の父・松本強氏は飛行第四連隊に所属し、パイロットとして活躍されました。松本零士氏は今回、父への想い(慰霊)を込めて、大刀洗の地を初めて訪れます。また、大刀洗飛行場開場100周年・開館10周年を記念して、松本零士氏に大刀洗飛行場をテーマにオリジナル絵画を描いていただきました。(会場に展示予定)
令和元年(2019年)6月1日(土)~9月29日(日)
戦争が終結したにもかかわらず、シベリアをはじめとする旧ソ連やモンゴルの酷寒の地に抑留され、乏しい食糧と劣悪な生活環境の中、過酷な強制労働に従事させられた「戦後強制抑留者」は約57万5千人におよびます。そのうち約5万5千人が栄養失調や伝染病などで命を落としました。
本展では平和祈念展示資料館(東京・新宿)が所蔵するモノ資料と、抑留体験者である漫画家・斎藤邦雄氏が描いた作品を重ね合わせて紹介し、戦後強制抑留について伝えます。
■平和祈念展示資料館はこちらから
平和祈念展示資料館(総務省委託)
平和祈念展示資料館は、さきの大戦における、兵士、戦後強制抑留者および海外からの引揚者の労苦(以下、「関係者の労苦」)について、国民のより一層の理解を深めてもらうため、関係者の労苦を物語る様々な実物資料、グラフィック、映像、ジオラマなどを戦争体験のない世代にもわかりやすく展示されている施設です。
また、資料を有効活用し、効果的な方法で幅広く労苦を語り継ぐため、全国で展示会などの館外活動を展開されています。
令和元年(2019年)7月14日(日) / 令和元年(2019年)9月15日(日)
現在開催中の平和祈念交流展『マンガとモノが語る シベリア抑留』関連イベントとして、映画上映会を開催致します。
上映作品『私はシベリヤの捕虜だった』は、映画カメラマンの実際の抑留体験をもとに自主製作、昭和27年(1952年)に公開されたセミドキュメンタリー映画です。長く存在が不明でしたが、60年ぶりに米国で発見。当時、日本の映画界で誰も描くことがなかったシベリア抑留を伝える貴重な作品です。(約86分)
映画:『私はシベリヤの捕虜だった』 【昭和27年(1952年)公開作品】
製作:シュウ・タグチ・プロダクションズ / 監督:阿部豊・志村敏夫
©TAGUCHI,Yasushi
令和元年(2019年)
本年度の「平和のメッセージコンテストinちくぜん」につきましては、諸般の事情により、実施を見送ることとなりましたのでお知らせ致します。
これまでのご協力に心より感謝申し上げます。
これからも、大刀洗平和記念館を中心に平和の取り組みと情報発信を行ってまいりますので、ご支援等よろしくお願い申し上げます。
令和元年(2019年)8月12日(月)~8月18日(日)
大正8年に誕生し、「東洋一」と謳われた大刀洗飛行場は、西日本最大の航空拠点として発展しました。その歴史と戦争の悲惨さを当時の写真を通して紹介し、戦争と平和を考えるきっかけになればと思います。
令和元年(2019年)8月12日(月)~8月16日(金)
悲惨な戦争の記憶を風化させないよう、その教訓と平和の尊さを次の世代に伝えるため、さまざまな戦争に関する資料を展示します。
県民の皆様から寄贈いただいた戦時資料を公開し、平和の尊さを後世に…。戦火をくぐり抜けた資料を通し、当時の人々の想いや平和の大切さを考えてみませんか。
筑前町立大刀洗平和記念館所蔵の資料もご紹介しております。(平和祈念展示資料館【東京・新宿】においてご紹介した資料の一部です)
~令和元年(2019年)8月15日(木)
昭和20年4月6日、沖縄に上陸した米軍に対し、陸海軍共同の特攻作戦が始まりました。陸軍「第一次航空総攻撃」、海軍「菊水1号作戦」といわれ、この日出撃した特攻機は陸海軍併せて約210機。米軍艦船にも大きな被害がでましたが、多くの特攻隊員も犠牲になりました。この日の攻撃には、大刀洗陸軍飛行学校の教官や助教で編制された誠第36・37・38飛行隊も九八式直接協同偵察機で出撃、戦死されています。
沖縄県・古宇利島沖には、この攻撃で航行不能となった米軍艦エモンズが沈んでいます。その近くにはこの軍艦に突入した機体があり、その機体は九八式直接協同偵察機。当時、大刀洗を経て新田原(宮崎)から特攻出撃した大刀洗陸軍飛行学校の教官や助教の最期の場所です。
戦後75年を控え、九州大学 浅海底フロンティア研究センターによるこれらの戦争遺跡の調査が行われ、研究成果を平和教育に活かす取り組みが行われています。戦後75年となる2020年6月には、沖縄と福岡で「海の戦争遺跡を語り継ぐ講演会」も計画され、そのために必要な資金を集めるためのクラウドファンディングが行われています。詳細は添付の呼びかけチラシを参照してください。
■問い合わせ先
九州大学 浅海底フロンティア研究センター
TEL 092-802-5646
Email seafloor@scs.kyushu-u.ac.jp
■クラウドファンディング「浅海底の戦争遺跡 USSエモンズ伝承プロジェクト」
https://readyfor.jp/projects/Emmons
■九州大学浅海底フロンティア研究センター/USS Emmons
http://scs.kyushu-u.ac.jp/seafloor/Emmons/
令和元年(2019年)8月3日(土)
現在開催中の平和祈念交流展『マンガとモノが語る シベリア抑留』関連イベントとして、『鳥谷邦武氏講演会』を開催致します。
昭和18年、少年飛行兵に合格し、16歳で大刀洗陸軍飛行学校に入校した鳥谷氏。
その後、朝鮮、満州の飛行場で厳しい訓練を続け、特攻隊「第427振武隊」に編成されます。その時、鳥谷氏は両親宛てに爪と髪の毛を入れた白紙の遺書を送りました。
しかし、出撃命令を待つ間に、終戦を迎え、日本に帰れると思ったところ、着いた先は西シベリアの「ヤーヤ第6収容所」でした。そこで強制労働を課せられ、酷寒の中、食料も不足し仲間たちは倒れていきました。
「特攻隊」「シベリア抑留強制労働」を経験された鳥谷氏に、当時の貴重な体験をご講演いただきます。
(※大刀洗平和記念館スタッフが聞き手となって進行します。)
平成31年(2019年)4月23日(火)~令和元年(2019年)6月30日(日)
かつて筑前町には、旧陸軍が東洋一を誇った大刀洗飛行場を中心とする一大軍都が存在しました。しかし、昭和20(1945)年3月、米軍の大空襲により、壊滅的な被害を受け、民間人を含む多くの尊い命が奪われました。
また、大刀洗飛行場は、特攻隊の中継基地として数多くの若き特攻隊員たちの出撃を見送った場所でもあります。
現在、戦争の記憶は失われつつあります。本交流展が、かつての大刀洗飛行場の姿を伝えるとともに、今日の平和に感謝する機会となるよう願います。
令和元(2019)年6月1日(土)
平和祈念交流展『マンガとモノが語る シベリア抑留』の関連イベント第一弾として、初日の6月1日ギャラリートークを開催致します。(11時と13時からの2回)
平和祈念展示資料館(東京・新宿)担当学芸員をゲストに迎え、展覧会の見どころなどをご紹介いただきます。当館では、初となるギャラリートークです。この機会に是非ご来館ください。
2019年2月2日(土)~2019年5月30日(木)
杉山家四代(灌園、茂丸、夢野久作、龍丸)は、幕末から明治、大正そして昭和の時代に、その卓越した先見性と才能を持って活躍し、日本だけでなく世界にも貢献、影響を与えました。その基本にあるのが灌園の教えともいえる「民ヲ親ニス」。また茂丸が遺したことば「アジアの人のために働け」は久作や龍丸の生きざまに大きく影響しています。
本企画展では、筑前町にもゆかりのある杉山家四代が遺した足跡を当時の貴重な書簡・写真・原稿や書籍などを通じて紹介します。
「在親民」は中国・儒教の教書『四書五経』の一つである『大学』の一節。
朱子学では「民ヲ親(アラタ)(新)ニスルニ在リ(上位下達で民を管理すること)」
陽明学では「民ニ親(シタ)シムニ在リ」と解釈されている。
杉山家では「民ヲ親(オヤ)ニス(民を自分の親と思って面倒見ること)」と捉え家訓のように受け継がれてきた
■杉山灌園 天保3(1832)年頃~明治35(1902)年
幕末、黒田藩諸藩応接役であった灌園(三郎平誠胤)は、大政奉還後、藩主・黒田長溥公に意見し、謹慎後、御役御免となる。
明治2(1869)年に芦屋(遠賀郡芦屋町)に移住後、明治11(1878)年から明治23(1890)年まで、夜須郡二村(筑前町)で敬止義塾を開く。
■杉山茂丸 元治元(1864)年~昭和10(1935)年
灌園の長男。伊藤博文、山縣有朋や桂太郎など幅広い人脈を持ち、日露戦争にも深く関わり明治から昭和初期にかけて政界に大きな影響力を持っていた。日本興業銀行、台湾銀行や南満州鉄道などの創設にも携わる。九州鉄道敷設、博多湾築港など九州の産業開発にも尽力。義太夫、茶道など日本文化に造詣が深く、相撲界の振興にも力を注いだ。
■夢野久作 明治22(1889)年~昭和11(1936)年
本名、杉山直樹(のちに泰道)は、「海外に紹介すべき日本の近代作家」(文化庁)にも選ばれた小説家。代表作は三大奇書の一つとされる「ドグラ・マグラ」。作品は「瓶詰地獄」「犬神博士」など多数。茂丸の長男。杉山農園を経営。九州日報記者を務めながら小説家として活躍。
■杉山龍丸 大正8(1919)年~昭和62(1987)年
龍丸は戦時中、フィリピンで米軍に「幻の戦闘機隊」と恐れられた飛行第31戦隊整備隊長。
戦後は全ての私財を投げ打ってインドの飢餓を救うための緑化事業を行った。ユーカリの木はインドの国道約470kmに植林された。砂漠緑化事業にも尽力、インドでは「グリーンファーザー」と呼ばれている。
令和元年(2019年)5月12日(日)
杉山家四代(灌園、茂丸、泰道【夢野久作】、龍丸)は、幕末から明治、大正そして昭和の時代に、その卓越した先見性と才能を持って活躍し、日本だけでなく世界にも貢献、影響を与えました。
四代目龍丸は戦時中、幻の戦闘機隊の整備隊長を務め、戦後はインドの緑化運動に貢献し、グリーンファーザーと呼ばれています。
五代目にあたる杉山満丸氏が、「杉山家四代の軌跡」と題し、特に、父・龍丸のエピソードを中心に講演していただきます。
平成31年(2019年)4月27日(土)
戦争の傷跡に触れ、平和の大切さを感じ取ってもらうために、第18回旧陸軍大刀洗飛行場戦跡フィールドワークを以下の通り開催致します。皆様のご参加お待ちしております。
平成31年(2019年)3月27日(水)
筑前町立大刀洗平和記念館において平和のメッセージコンテストinちくぜん表彰式・発表会及び3.27ピースキャンドルを下記の通り開催致します。
平和の大切さ、命の尊さを後世に語り継ぐをテーマに作文を募集し、全国から小学生・中学生・高校生・一般の各部門に、合わせて1773作品の応募がありました。最終審査の結果、各部門でそれぞれ最優秀賞1名、優秀賞1名などが決定、当日はその作品の表彰・発表会を行います。また引き続き、1945年3月27日の大刀洗空襲にて犠牲となられた方々への追悼と平和の祈りを込めて、3.27ピースキャンドルを開催致致します。館内では、語り部(野瀬久子さん:大刀洗空襲を語り継ぐ会)、合唱(童謡・唱歌教室〔アンダンテ〕)、朗読(記念館朗読部会)を行い、館外には近隣の学校・団体様にご協力いただいた約2,000個のメッセージにキャンドルを灯します。
平成31年(2019年)3月27日(水)
当時、大刀洗大空襲で犠牲になった方々の遺骨を埋葬したのが熊ヶ山(筑前町依井)。毎年3月27日には戦没者を偲び、平和を訴える「平和の碑のつどい」を 開催します。献花、献句や戦争体験者の語り部などを行います。当日は午前10時開会、花一輪持参を。問い合わせは筑前町立大刀洗平和記念館まで。
●時間:午前10:00~ ●場所:筑前町熊ヶ山
平成30年(2018年)12月21日(金)
<入賞作品が決定しました!!>
選考委員会による審査の結果、ご応募いただいた1,773作品の中から入賞作品が決定しました。たくさんのご応募ありがとうございました。
なお、表彰式及び発表会は、平成31年3月27日(水)18時から大刀洗平和記念館にて開催いたします。当日は、ピースキャンドルのイベントに伴いミニコンサートや朗読も行われますので、みなさん是非お越しください。【入場無料】
■審査結果についてはこちらから
平成30年(2018年)8月12日(日)~平成31年(2019年)1月31日(木)
爆弾を抱え、乗員、機体ごと敵艦船等に体当たりする特攻(特別攻撃)。必死の攻撃である特攻は、戦局を挽回する戦術として1944年10月から終戦間際まで続き、多くの特攻隊員が南の海に散りました。当時、米軍は特攻隊との戦闘を克明に写真等に記録しています。本企画展は、米軍記録写真と特攻隊員の遺品から特攻の事実を伝えます。
平成30年(2018年)12月8日(土)
第十三期海軍飛行予備学生として入隊。偵察員としての課程修了後は、攻撃一〇五飛行隊に配属され、フィリピンにおける航空作戦に参加した丸田氏。
フィリピンを巡る戦いにおいて、日本軍は、攻撃方法を特攻作戦に転換しました。神風特別攻撃隊・大和隊を初め、多くの特攻隊員を見送った丸田氏に、当時の状況や隊員たちの心情、そして、ご自身の体験を対談形式で講演していただきます。
平成30年(2018年)10月25日(木)
広島市の平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルで、被爆して10年後に白血病となり、12歳で亡くなった佐々木禎子さん。遺品である折り鶴を、命日の10月25日にNPO法人SADAKO LEGACY理事長で、禎子さんの実兄・佐々木雅弘様よりご寄贈いただきました。
式典では、雅弘様より生きたいと強く願っていた禎子さんの思いや闘病生活の苦しさ、家族や仲間への想いやりなどをお話しいただきました。また、甥でシンガーソングライターの佐々木祐滋様より、禎子さんの気持ちになって綴った歌「INORI」を歌っていただきました。
折り鶴は、国内では禎子さんの母校である幟町小学校(広島市)、沖縄市、長岡市、我孫子市、郡山市、茅ケ崎市につぎ当館は7か所目。ほかに、アリゾナ記念館(アメリカ)など世界にはばたき展示されています。
禎子さんの折り鶴は常設展示、オバマ前アメリカ大統領が長崎原爆資料館に贈られた折り鶴は広島・長崎原爆パネルと共に来年2月3日まで展示致します。
平成30年(2018年)11月17日(土)
戦争の傷跡に触れ、平和の大切さを感じ取ってもらうために、第17回旧陸軍大刀洗飛行場戦跡フィールドワークを以下の通り開催致します。皆様のご参加お待ちしております。
平成30年7月1日(日)~平成30年9月25(火)
平和の大切さや命の尊さについて『誰かに伝えたいこと』『誰かに語り継ぎたいこと』などを題材にした作文を募集します!
平成30年(2018年)8月1日(水)~8月10日(金)
福岡県では、戦争体験者が高齢化し、減少する中、悲惨な戦争の記憶を風化させないよう、その教訓とともに、平和の尊さを次の世代に継承していくために、県民の皆さまから寄贈いただいた貴重な資料を展示する「戦時資料展」を平成元年から毎年県内各地で行っています。
この戦時資料展を通し、当時の人々の想いや平和の大切さを考えてみませんか。
平成30年(2018年)4月21日(金)~7月30日(月)
日本はかつて戦況とともに大きく変化する国民生活を経験しました。昭和12年(1937)の日中戦争を契機に、戦時体制が敷かれることとなり、国民生活はあらゆる面で統制されたものとなりました。
多くの男性が戦地へと出征するなかで、残された女性や子どもたちの活動が国民生活の基盤となり、苦しい状況下に置かれながら懸命に日々を生き抜きました。
本展では、前線を支えて生きる銃後の暮らしについて、女性と子どもの視点を中心に紹介します。
平成30年(2018年)7月21日(土)
「落語で伝えたい想い」4作目。一人ひとり持つ命の意味、ありがたみやぬくもりを落語で表現。沖縄戦における特攻隊員とひめゆり学徒隊員と看護婦長にまつわるお囃です。
平成30年(2018年)4月28日(土)
戦争の傷跡に触れ、平和の大切さを感じ取ってもらうために、第16回旧陸軍大刀洗飛行場戦跡フィールドワークを以下の通り開催致します。皆様のご参加お待ちしております。
平成29年(2017年)12月15日(金)~平成30年(2018年)4月19日(木)
当時の記憶を後世に伝えたいという思いから、当館に託された戦時資料。近年収蔵した未公開の資料を中心に、そのひとつひとつに秘められたエピソードを紹介します。
また、ポスター収集家・西村隆氏のコレクションより、戦中の時世を反映したポスターを展示します。
平成30年(2018年)2月1日(木)~3月31日(土)
筑前町で絵手紙教室の講師として活動されている神武(こうたけ)てるよ氏。
今まで心に温めていた「平和への思い」をテーマに生徒さんたちと作品を制作されました。
絵手紙を通して、改めて戦争と平和について考えるきっかけになればと思います。
※神武(こうたけ)てるよ氏…小郡市在住・日本絵手紙協会公認講師
平成29年(2017年)12月19日(火)~平成30年(2018年)1月30日(火)
今年度も、山川壽子氏と生徒さんによる絵手紙展を開催しています。
「戦争と平和について目をそらさず見据えて欲しい」という強い思いから、体験者に聞いた話しや、話しを聞いて感じたことを絵と文章で表現し、作品にされました。
当時の体験を語る証言者が高齢化により減少し続けている現実。語りつぐことの難しさ・重要性を痛感する今だからこそ、後世に語りつぐという輪がこの地から少しでも広がることを願い、また、戦争の悲惨さや平和の大切さをあらためて考えるきっかけになればと思います。
平成29年(2017年)7月22日(土)~12月13日(水)
第一次世界大戦後、航空戦力の重要性は世界的に認識されるようになりました。
優秀な航空機搭乗員の育成のためには、早い時期から教育を行ない、体で覚えることが重要だとされていました。そのため少年飛行兵や予科練という制度が設けられ、日々厳しい訓練によって心身を鍛えました。
しかし、戦争が激しくなると、熟練した先輩搭乗員は戦場で命を落とし、新人は充分な訓練が行なわれないまま様々な形で実戦に送りだされるようになっていきます。
少年飛行兵は約4万5千人、予科練生は約24万人を数えましたが、航空特攻において前者は約430人、後者は約1,600人が命を落としています。
大空に憧れを抱いて志願した少年たち。今に残る資料から、彼らの存在を伝えます。
平成29年(2017年)12月2日(土)
昭和18年、少年飛行兵に合格し、15歳で大刀洗陸軍飛行学校に入校した上野氏。
大刀洗陸軍飛行学校甘木生徒隊で操縦者として、また陸軍兵士としての基礎を学び、京城、平壌の飛行場で厳しい訓練を続けました。
昭和20年に入ると約2ヶ月にわたって特攻攻撃の訓練を受け、2月末に平壌にて中隊長より特攻志願の有無を聞かれます。上野氏を含め多くの隊員が志願し、その後次々と特攻隊が編成されました。
多くの特攻隊員を見送り、大刀洗北飛行場で終戦を迎えた上野氏に、当時の貴重な体験を対談形式で語っていただきます。
平成29年(2017年)11月7日(火)~11月30日(木)
筑前町は筑紫平野の北部に位置し、博多・天神などの都会に近い田舎「とかいなか」と言われる住みやすい町。「筑前町を外に発信したい」という思いから、2016年9月から2017年8月まで開催した”筑前町の魅力発信フォトコンテスト”などで集まった写真を展示しております。
平成29年(2017年)10月1日(日)~11月30日(木)
戦時中、スパイ容疑をかけられ家族と離れ離れになった蜂谷彌三郎。妻・久子とは互いに生存を確認する術もなく半世紀という月日が流れました。
その間、過酷な環境に身を置くことになった彌三郎。帰国という希望を絶たれた彼を支えたのは、敵国・ソ連の女性、クラウディアでした。
支え合い生きてきた二人でしたが、心の底で日本への帰国を願う彌三郎の思いを感じたクラウディアがくだした決断とは…。
村尾靖子さんが執筆された『クラウディアの祈り』を、取材で集められた資料と共にご紹介しています。
この事実を知っていただき、戦争の悲惨さや、家族・人との絆を見つめなおすきっかけとなればと思います。
平成29年(2017年)11月11日(土)
戦争の傷跡に触れ、平和の大切さを感じ取っていただくために、戦跡フィールドワーク(戦跡めぐり)を下記の通り開催致します。皆様の参加をお待ちしております。
平成29年(2017年)8月7日(月)~8月20日(日)
大正8年に誕生し、「東洋一」とうたわれた大刀洗飛行場は、西日本最大の航空拠点として発展しました。その歴史と戦争の悲惨さを当時の写真を通して紹介し、戦争と平和を考えるきっかけになればと思います。
平成29年(2017年)4月5日(水)~7月20日(木)
轟義雄は、大正元年(1912)8月25日に福岡の八幡市(現・北九州市八幡東区)に生まれました。昭和7年(1932)、佐世保海兵団にて機関兵となります。轟が他者と一線を画したのは、独学で磨いた絵の巧さ。28歳の時には中南支方面へ海軍従軍画家として派遣されます。
昭和19年(1944)1月、「第二鹿屋航空隊」設立準備のため鹿屋基地へ駐在。その後海軍人事部に派遣され、報道班絵画要員として鹿屋に滞在していたとみられます。
また、画家として「禧玖嗣朗」の名を用いています。この頃の作品以降、の落款やサインが多く見受けられます。
昭和20年(1945)までの作品750点の中から、轟の履歴をたどりながら選んだ絵を中心に展示します。(会期中作品の入れ替えを行います)
≪関連展示≫
「戦争記録画の重鎮 中村研一」
「戦後の創作 雲仙・光西寺」
平成29年(2017年)4月22日(土)
戦争の傷跡に触れ、平和の大切さを感じ取っていただくために、第14回旧陸軍大刀洗飛行場戦跡フィールドワークを以下の通り開催致します。皆様のご参加お待ちしております。
平成29年(2017年)1月14日(土)~4月2日(日)
ファッションや生活道具、街並み。
わたしたちの身の回りの様相は、時代とともに変化しています。
戦争という緊迫した状況を背景に生まれた物は、
その姿や形に時代を反映しています。
国内有数のアンティーク収集家である平原健二氏が、半世紀にわたって
こだわりを持って集めた希少性・資料性の高いコレクションから、
戦時の様子を垣間見ます。
平成29年(2017年)3月27日(月)
大刀洗飛行場は、昭和20年(1945)3月27日と31日の大空襲をはじめ、米軍の爆撃機B29による空襲を受けています。飛行場やその周辺の軍事施設は壊滅的な被害を受け、幼い児童を含む多くの犠牲者を出しました。記念館では毎年、空襲で亡くなられた犠牲者への追悼と平和の大切さを訴えるためピースキャンドルを開催しています。18時から入場無料でご入館いただけます。その後18時50分から関連イベントとして、大刀洗空襲(頓田の森)を語る朗読劇〈東明館中学校・高等学校放送部〉、体験談〈廣瀬益子さん〉や、コーラス 〈ジャクシー:高校音楽部OBコーラスグループ〉、朗読 〈記念館朗読部会〉を行います。
平成29年(2017年)3月19日(日)
平和の大切さや命の尊さを後世に語り継ぐために、筑前町では作文を募集しています。今年度は1,946件のご応募をいただき、小学生の部、中学生の部、高校生の部、一般の部の各上位入賞者による作品朗読と表彰式を行ないます。
また、講演会では、戦争によって人生を翻弄された人々を、日本のみならずロシアの地まで赴いて取材され、ご自身も戦争体験者の村尾靖子先生に「語り継ぎたい 平和への祈り」と題してご講演いただきます。(※手話通訳あり)
平成29年(2017年)2月4日(土)
当館に展示中の九七式戦闘機は平成8年(1996)9月、博多湾埋め立て工事の現場で発見されました。修復作業には様々な課題がありましたが、渕上宗重氏を中心とした関係者の尽力により見事に修復され、「歴史の証人」、また「平和を考える貴重な教材」として展示されています。
その後、操縦していたのは鳥取県出身の特攻隊員渡辺利廣少尉と判明しました。
平成28年(2016年)12月16日(金)~平成29年(2017年)1月31日(火)
昨年に引き続き、山川壽子氏と生徒さんによる絵手紙展を今年も開催しています。
「戦争と平和について目をそらさず見据えて欲しい」という強い思いから、体験者に聞いた話しや、話しを聞いて感じたことを絵と文章で表現し、「平和への思い」を訴えています。
多くの方々にとって、あらためて戦争と平和について考えるきっかけとなればと願います。
平成28年(2016年)9月3日(土)~平成29年(2017年)1月12日(木)
死を前提とした作戦「特攻」。この作戦により、多くの若者たちがその生命を絶たれました。
そして、「特攻」では多くの手段がとられています。
本企画展では、その隊員たちを紹介すると共に、愛する故郷や人々を守るため、命をかけた若者たちの存在、その事実を伝えます。
平成28年(2016年)12月3日(土)
昭和十八年、少年飛行兵に合格し、十六歳で大刀洗陸軍飛行学校に入校。その後、朝鮮、満州の飛行場で厳しい訓練を続け、特攻隊「第四二七振武隊」に編成される。まだ生きたいと思いながら、両親宛に白紙の遺書と毛髪、爪を送った。
出撃命令を待つ間に、次々と戦友が出撃し命を落とす。終戦を迎え、やっと日本に帰れると思ったが、着いた先は西シベリア「ヤヤ第六収容所」だった。そこで、強制労働を課せられた。極寒の中、食料も不足し仲間も倒れた。日本に還ったのは、昭和二十二年五月のことだった。
「特攻隊」「シベリア抑留」の経験をされた鳥谷氏に、戦争の悲惨さ平和の大切さをお話しいただきます。かたりついでいくために…。
平成28年(2016年)11月19日(土)
戦争の傷跡に触れ、平和の大切さを感じ取っていただくために、戦跡フィールドワーク(戦跡めぐり)を下記の通り開催致します。皆様の参加をお待ちしております。
平成28年(2016年)11月3日(木・祝)
今年の夏誕生した大刀洗平和記念館中学生ボランティアガイド。
夏休み期間限定の活動予定でしたが、11月3日の文化の日にガイド活動(解説)を行うことが決定致しました。自分の言葉で語りかける姿は真剣そのもの。この機会に是非中学生ボランティアガイドの活動をご覧ください。
平成28年(2016年)4月15日(金)~8月31日(水)
昭和12年(1937)にはじまった日中戦争をきっかけに、人々の暮らしは戦争に勝つことを優先したものに変化しました。
「国家総動員法」により、国民は戦時経済への協力が求められ、女性や子どもたちは労働力として動員されました。
物資の不足や空襲への恐怖と向き合った銃後の暮らし、その懸命な姿から、平和について考えます。
銃後…直接戦闘に参加しない国民、また戦争を継続するための支援体制のこと
平成28年(2016年)8月13日(土)
終戦から71年、当館では企画展『第二回 戦時下のくらし展 ~銃後の守り~』を開催しています。
戦時中、銃後を守った妻や子ども。そして終戦。
その生活は厳しいものがありました。
その体験を語りつぐ講演会を開催致します。
岡部ノブ子氏は、昭和16年生まれ。
戦時中の記憶は米軍艦載機による機銃掃射の恐怖だと話されます。
終戦後は父の復員を待ち続けましたが、届いた父の死亡告知書には、シベリア抑留中に死亡と書かれていました。
父を亡くし、戦争の渦中を生きた岡部ノブ子氏による体験談です。
平成28年(2016年)7月23日(土)
かつて世界各国の戦闘機を凌駕した零戦。当時の日本の秀れた航空技術を集めて零戦は登場しました。当館に展示している零戦32型は戦時中、第二五二海軍航空隊に所属し、数奇な運命を辿ります。戦後、マーシャル諸島で発見され、昭和58年(1983)3月、戦後38年を経て故郷日本への帰還を果たしました。輸送方法、資金調達など様々な課題を乗り越えて、同機の帰還に尽力されたのが福岡航空宇宙協会の故松本成一委員長でした。
零戦講座『1983 福岡に帰還した名機・零戦』では、零戦とはどんな戦闘機だったのか、そして戦後帰還を果たし当館に展示されるまでの経緯やエピソードが語られます。
平成28年(2016年)4月23日(土)
戦争の傷跡に触れ、平和の大切さを感じ取っていただくために、戦跡フィールドワーク(戦跡めぐり)を下記の通り開催致します。皆様の参加をお待ちしております。
平成27年(2015年)11月29日(日)~平成28年(2016年)4月13日(水)
戦後70年を迎え、時間の経過とともに当時の記憶が薄れつつある今、戦時資料という「もの」が担ってきた「歴史を語りつぐ」という役割は、これまで以上に重要になってきています。
本企画展では、近年新たに発見された戦時資料やこれまで未公開の資料を中心に展示することで、当時の事実や懸命に生きた人々の記憶を伝えます。
平成28年(2016年)3月20日(日)
戦後71年を迎え、戦争という痛ましい事実を風化させず、平和の大切さや命の尊さを後世に語りつぐために、筑前町では昨年「平和のメッセージコンテスト」の作文を募集しました。当日は、全国から集まった各部門の最優秀賞及び優秀賞作品の朗読、表彰のほか、直木賞作家・安部龍太郎さんの記念講演が行われます。
平成28年(2016年)1月1日(金)~3月1日(火)
戦後70年、「節目の年に絵手紙を通じて何かできないか」…。平成11年(1999年)から絵手紙サークルの講師を務めている山川壽子氏は、”平和と戦争”をテーマにした企画を思い立ちました。山川氏は「戦時中食糧難に耐え、当時を思い出すと胸が苦しくなります。若い受講生たちは戦争を知りません。戦争と平和について、目をそらさず見据えてほしい」という思いから、まず自分の体験を思い起こし、絵手紙で伝えることを決心しました。
本展によって、絵手紙に込められた「平和への思い」を多くの方に感じ取っていただけるよう願います。
※山川壽子(ひさこ)氏
福岡県小郡市在住
日本絵手紙協会公認講師、筆の里工房絵手紙インストラクター
平成27年(2015年)12月12日
アメリカ本土を直接攻撃した秘密兵器、風船爆弾。その製造は、女子挺身隊や、学徒動員の女学生が担っていました。
小倉造兵廠にて風船爆弾製造に従事した山口高等女学校の生徒のひとり、田中哲子氏。その当時の苛酷な作業、厳しい環境。そして仲間との寮生活。戦後70年の今年、当時の彼女たちの命をかけた青春の貴重な体験を語っていただきます。
また、約40年間にわたり風船爆弾について取材を行ない、数多くの証言を集められた林えいだい氏を講師に迎え、知られざる風船爆弾についてご講演いただきます。
平成27年(2015年)7月18日~11月27日
太平洋戦争末期頃から日本軍はほとんど生還する見込みの無い「特別攻撃隊」を編成し、体あたり攻撃を敢行しました。その作戦で4,000人から5,000人の若者の尊い命が失われました。本企画展では、「特攻」で亡くなられた若者の戦争に翻弄され、将来を断たれた人生のひとこまを紹介します。今の戦争の無い日本の平和の尊さを考えるきっかけとなり、二度とこのような悲劇を繰り返さない事を願います。
平成27年(2015年)9月19日~9月27日
「軍服姿の祖父が写った一枚の集合写真。しかし、いつ撮られたのか、どこで撮られたのかも分かりません」
昨年5月、90歳で亡くなられた祖母の遺品を整理していた丸山氏は、偶然祖父が写る写真を見つけました。祖父の緒方福治氏は、陸軍に入隊後、満州に渡り、復員。後の1957年に41歳で亡くなられています。
油彩画の勉強をしていた丸山氏は、その集合写真の一人ひとりを画題とすることに決め、1年がかりで18人の肖像画を仕上げました。「写真が撮影された場所も、一緒に写っている仲間たちの名前も分かりません。しかし、そこに写る一人ひとりの表情、その奥に広がる個々の思いに心惹かれました」と話されます。
写真の詳細についての手掛かりを求めるとともに、「肖像画は本人や親族の方が望まれるのなら、贈りたい」と考え、今年7月には地元の行橋市でも個展が開かれました。11月には福岡県遺族会総会でも展示されることが決定しています。
平成27年(2015年)9月26日
昭和19年1月、不足する飛行操縦者の養成という重要任務を与えられた宮尾氏。19歳で大刀洗陸軍飛行学校・目達原教育隊の教官となり、特別操縦見習士官、さらに少年飛行兵15期の操縦教育などを担当します。「子犬を抱いた少年兵」として知られる荒木幸雄伍長を含む教え子たちや、飛行学校の同期など、二度と帰ることがなかった同志の遺影に手を合わせる日々を送られている宮尾氏に、当時の様子を語っていただきます。
平成27年(2015年)8月8日
昭和20年8月8日、西鉄大牟田線の旧筑紫駅において、米軍機の機銃掃射が襲いかかりました。上下線合わせて64名の乗客が即死、100名以上の被害者を出したといわれています。
当時、西鉄電車を運転していたのは旧制南筑中学校の生徒たち。山口義光氏は、銃撃を受けた電車の近くで自分の運転する電車を停止させていました。
その惨状を目のあたりにした山口義光氏に当時の様子を語りついでいただきます。
平成27年(2015年)2月28日~7月15日
どこまでも青い海と空が広がる南の島、沖縄。かつてこの島では国内最大の地上戦が繰り広げられ、約三カ月にわたる「鉄の暴風」によって、民間人と日米両軍を合わせて二十万人を越える尊い生命や、多くの文化遺産が失われました。この沖縄戦から七十年の歳月が過ぎ、当時の体験を語る証言者は、高齢化により減少し続けています。一方で、沖縄には今なお陣地壕跡や「ガマ」と呼ばれる自然壕の中に、名前もわからない戦没者の遺骨や遺品が手つかずのまま眠っています。本展ではこうした壕から掘り出された様々な遺物が語りかける沖縄戦の記憶に思いを馳せてみてください。
平成27年(2015年)3月22日
戦後70年を迎え、戦争という痛ましい事実を風化させず、平和の大切さや命の尊さを後世に語りつぐために、筑前町では昨年「平和のメッセージコンテスト」の作文を募集しました。当日は、全国から集まった各部門の最優秀賞及び優秀賞作品の朗読、表彰のほか、特攻を真っ向から否定した「芙蓉部隊」に属し、艦上爆撃機「彗星」元操縦員の坪井晴隆さんの記念講演が行われます。
平成26年(2014年)10月30日~2月26日
かつてこの地には、旧陸軍が東洋一を誇った大刀洗飛行場を中心とする一大軍都がありました。広大な草地の飛行場に軍事施設が立ち並び、飛行学校の生徒たちや飛行部隊による航空機が連日耳納連山の遥か上空を飛び交っていました。また、周辺には商店が集まり、飛行場内では一時民間航空が営業するなど、大変な賑わいを見せていたようです。しかし、この活気に満ちた航空拠点は、昭和20年3月の大空襲によって壊滅、軍都としての機能を失い、終戦までは特攻隊の中継基地として数多くの隊員を見送った悲しい記憶が残ります。
当館はこの軍都の跡地に、飛行場の歴史を伝え、平和を語り継ぐ施設として平成21年10月に開館し、このたび5周年を迎えました。本展では、この5年間に新たに寄せられた大刀洗飛行場に関する戦時資料を中心に、人々の記憶を辿りその姿に迫ります。
平成26年(2014年)8月2日~10月28日
伊藤半次は博多中島町にあった老舗提灯店の大将でした。スキーを嗜み、電機蓄音機が宝物、映画鑑賞や温泉旅行にしばしば出かけるなど、多趣味で活発な性格だったようです。半次は27歳のとき応召し、その後満洲に出征。遠く離れた戦地から、内地に残してきた妻や子ども達に宛てて、得意の絵を描いた軍事郵便を送り続けました。その数約400通。絵手紙は博多っ子らしいユーモアと家族への愛情にあふれ、読む人の心を和ませます。受け取った家族は大いに笑い、励まされていたことでしょう。家族の元へ帰ることを夢見ていた半次でしたが、ついにその夢は叶うことなく、昭和20年6月18日、沖縄戦で果てました。本展では、半次が命懸けで描き続けた絵手紙を通して、家族の絆の大切さ、平和の尊さを伝えます。
平成26年(2014年)8月13日
昭和20年8月、大刀洗南飛行場では陸軍特別攻撃隊第三〇三、三〇四振武隊の16名と12機の一式双発高等練習機が特攻出撃を待っていました。
一度きりの特攻で確実に戦果を挙げるために、6機が敵艦一隻に同時に体当たりする特攻訓練が行われていました。そして、ついに三〇三振武隊に特攻命令が下ります。出撃の日時は、8月15日午後6時。上野伍長が所属する三〇四振武隊を含め、大刀洗にいた特攻隊員達は正午の玉音放送によって、特攻出撃直前で終戦を迎えたのでした。69回目の終戦の日を前に、上野主計氏に当時の様子を振り返っていただきます。
平成26年(2014年)4月1日~7月31日
昭和20(1945)年5月25日早朝、多くの見送り人が日の丸の小旗を振る中、大刀洗飛行場から沖縄に向かって、4機の特攻機が飛び立ちました。 そのうちの2機は、3トンもの特殊爆弾を操縦席の真後ろに搭載した「さくら弾機」と呼ばれるものでした。この機に乗っていた通信士、山下正辰伍長は、午前9時24分に「ヤシタヤシタヤシタ(我突入ス)」の打電を最後に敵艦船に突入、散華しましたが、戦果は確認されていません。この日出撃したさくら弾機搭乗員8名が、沖縄の海に散っていきました。本展では、彼らが最期の時間を過ごした大刀洗飛行場の姿と、当時特攻隊員とかかわりのあった人々、そして遺族の戦後について、弟・山下昭氏の視点からご紹介します。
平成26年(2014年)3月23日
戦後68年が経過し、戦争という痛ましい事実を風化させず、平和の大切さや命の尊さを後世に語りつぐために、筑前町では昨年7月に「平和のメッセージコン テスト」の作文を募集しました。当日は、全国から集まった各部門の最優秀及び優秀作文の朗読、表彰のほか、零戦の元搭乗員である池田一彦さんの記念講演が行われます。
平成26年(2014年)2月15日~3月30日
企画展「零戦と海軍搭乗員たちの軌跡」の会期を、3月30日(日)まで延長いたします。なお、2月16日(日)からは映画「永遠の0」の撮影で実際に使われた零戦の計器板を特別展示いたします。期間は会期末までです。この機会に是非ご来館ください。
平成25年(2013年)12月1日
映画「永遠の0」の山崎貴監督が、映画公開を前に当館に来館され、記者会見を行いました。百田尚樹氏によるベストセラー小説を原作にした映画で、終戦直前に特攻隊員として戦死する凄腕の零戦乗りである宮部久蔵をV6岡田准一さんが演じています。12月21日より全国公開されます。
平成25年(2013年)10月12日~3月30日
三菱の堀越二郎技師が設計した零式艦上戦闘機は、太平洋戦争(大東亜戦争)序盤、その運動性能の良さと熟練搭乗員の手腕によって圧倒的な強さを見せ、瞬く間に太平洋の空を席巻しました。しかし、度重なる海戦での敗北や、多くの熟練搭乗員を失ったことによって航空戦力は疲弊し、米軍最新鋭機に圧倒されるようになっていきます。そして、昭和19年(1944)10月、悪化する戦局を打開するため、ついに航空機もろとも敵艦に体当たりする特攻作戦が開始され、終戦までの間多くの若者がこれに殉じました。本展では、こうした零戦と海軍搭乗員たちの軌跡を多くの資料とともにご紹介します。
平成25年(2013年)6月9日~10月11日
第2回となる平原健二コレクション展では、福岡県在住のアンティーク収集家である同氏が、永年にわたってこだわりを持って集めた、希少性、デザイン性、資料性の高い逸品を多数公開します。
第1章「憧れの風景」では、大刀洗飛行場開設当時の珍しい風景絵葉書を、第2章「モダンガールに憧れて」では大刀洗飛行場の開設と時を同じくして華開いたモダンガールたちのおしゃれな文化を、風俗写真、化粧品、手鏡、人形など平原氏珠玉のコレクションからご紹介します。
平成25年(2013年)5月4日
企画展「かたりつぐ遺されたゼロ戦展」連動企画として、元第二一〇海軍航空隊所属の零戦搭乗員であった池田一彦中尉の講演会を下記の通り行います。零戦搭乗員として搭乗された二一型、三二型、五二型と、試験段階の六三型の話や沖縄航空戦爆戦特攻、特攻指名の状況、同期の黒鳥四朗中尉(夜間戦闘機「月光」搭乗員)のB-29撃墜の話を中心に語っていただきます。
平成25年(2013年)2月9日~6月7日
本展では、鹿児島湾や吹上浜から引き揚げられた貴重な旧海軍零式艦上戦闘機の残骸を多数公開します。また、精巧に作られた零戦の模型や、漫画家松本零士氏と旧陸軍九七式戦闘機との知られざるエピソードなども詳しくご紹介します。
平成24年(2012年)10月3日~2月7日
開館3周年記念となる本展では、戦時中、夫や息子の出征を見送った妻や母の想い、乳飲み子を置いて戦地へ向かった従軍看護婦、空腹をこらえて軍需工場で働いた生徒たち、親元を離れて疎開した子どもたちなど、戦争という不安な時代を生きた「女性」と「子どもたち」のくらしについて、多くの戦時資料などを通じてご紹介します。
平成24年(2012年)10月3日~10月28日
開館3周年記念特別企画展「戦時下のくらし展」開催に合わせ、関連イベントを行います。いずれも参加は無料です。(※入館料は必要です)
■戦争体験者による講演「戦時下のくらしを語る」(全4回)
【時間:10:30~11:00 場所:語りの部屋】
10月7日・14日 井上 富二さん
10月21日・28日 廣瀬 ノブ子さん
■紙芝居実演(全4回)
【時間:13:20~14:00 場所:展示コーナー】
10月7日・14日・21日・28日 山村 武一さん
■記念館女性スタッフによる戦時中の服装再現
10月3日(水)~16日(火) 9:00~17:00
上記期間中、戦時中の様子を知ってもらおうと記念館女性スタッフが手作りのもんぺや割烹着などを着用しています。
平成24年(2012年)6月1日~9月30日
大刀洗陸軍飛行学校知覧分教所で飛行訓練を受け、昭和18年12月中国の衡陽飛行場における米軍機との戦闘で被弾、自爆戦死した内田軍曹。家族に多くの手紙を送っています。その手紙を通じ、家族を想う若き陸軍パイロットの心情と戦時中の様子を紹介しています。
平成24年(2012年)3月20日~5月31日
今回で4回目になる収蔵庫展は、「通信機器と箱類展」と題し、当時大刀洗飛行場で使用されていた無線機や、戦前戦中に使用されたトランクや行李、弾薬箱や獣医行李など箱類の展示をしています。物言わぬ資料たちが「何か…」を語りかけてきます。
平成23年(2011年)10月1日~3月18日
当館に展示中の97式戦闘機のパイロットであり、24歳の若さで特攻散華された渡邊利廣少尉と、大刀洗を本拠地にし海軍の指揮下で戦った陸軍飛行第98戦隊について詳しくご紹介します。見どころは、渡邊少尉が母に宛ててつづった手記全文と、実物の九一式航空魚雷 (改二)です。
平成23年(2011年)5月27日~9月30日
当館は飛行場を中心とする大刀洗航空基地関係者からたくさんの戦時資料品を寄贈いただいております。大刀洗飛行場に関連した写真を展示しています。
平成22年(2010年)10月3日~12月28日
2010年(平成22年)に没後50年を迎えた作家、火野葦平(1906~1960)は、日中戦争での兵隊経験や、その後の中支軍報道部員として戦地を巡った経験を兵隊三部作「麦と兵隊」「土と兵隊」「花と兵隊」をはじめとする戦記作品で発表し、戦後最大のベストセラー作家となりました。開館1周年記念として開催する本企画展では人間的魅力にあふれた葦平の生き様と作品を通じて、戦争を経験したことのない多くの現代人へのメッセージを読み取ることができます。
平成22年(2010年)8月12日~8月30日
福岡県では、年々散逸し風化していく第二次世界大戦前後の戦時資料等の収集を昭和63年度から行っています。
これら県民の皆様から寄贈いただいた貴重な資料は、戦争の悲惨さと平和の尊さを後世に伝えていくことを目的として、平成元年度から毎年県内各地で戦時資料展として公開展示しています。
今年度は筑前町及び大刀洗平和記念館との共催で戦時資料約200点を展示・公開します。