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轟義雄は、大正元年(1912)8月25日に福岡の八幡市(現・北九州市八幡東区)に生まれました。昭和7年(1932)、佐世保海兵団にて機関兵となります。轟が他者と一線を画したのは、独学で磨いた絵の巧さ。28歳の時には中南支方面へ海軍従軍画家として派遣されます。
昭和19年(1944)1月、「第二鹿屋航空隊」設立準備のため鹿屋基地へ駐在。その後海軍人事部に派遣され、報道班絵画要員として鹿屋に滞在していたとみられます。
また、画家として「禧玖嗣朗」の名を用いています。この頃の作品以降、の落款やサインが多く見受けられます。
昭和20年(1945)までの作品750点の中から、轟の履歴をたどりながら選んだ絵を中心に展示します。(会期中作品の入れ替えを行います)
≪関連展示≫
「戦争記録画の重鎮 中村研一」
「戦後の創作 雲仙・光西寺」