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昭和20(1945)年5月25日早朝、多くの見送り人が日の丸の小旗を振る中、大刀洗飛行場から沖縄に向かって、4機の特攻機が飛び立ちました。 そのうちの2機は、3トンもの特殊爆弾を操縦席の真後ろに搭載した「さくら弾機」と呼ばれるものでした。この機に乗っていた通信士、山下正辰伍長は、午前9時24分に「ヤシタヤシタヤシタ(我突入ス)」の打電を最後に敵艦船に突入、散華しましたが、戦果は確認されていません。この日出撃したさくら弾機搭乗員8名が、沖縄の海に散っていきました。本展では、彼らが最期の時間を過ごした大刀洗飛行場の姿と、当時特攻隊員とかかわりのあった人々、そして遺族の戦後について、弟・山下昭氏の視点からご紹介します。