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かつて「東洋一」と謳われた大刀洗飛行場は大正8年(1919)に完成し、西日本における陸軍の航空拠点として、戦争終結の昭和20年(1945)までの26年間、歴史的役割を果たして来ましたが、昭和20年3月の大空襲により壊滅し終戦で完全に消滅しました。
ここでは大刀洗飛行場と周辺施設の位置・規模を床面に貼った現在の航空写真に照らし合わせて実感することができます。
大刀洗飛行場があった大正~昭和初期は、どのような時代だったのでしょうか。
この頃、世の中に登場した飛行機は、多くの人々の期待を担っていました。多くの先進国がその技術競争にしのぎを削りました。航空技術は、このわずかな期間に飛躍的な進歩を遂げましたが、当初は天候の影響で簡単に墜落するような不安定な乗り物であったため、飛行機の開発者たちは、命をかけて大空への挑戦を続けていた、そんな時代でした。
ここでは、幻の試作機「震電」をはじめ、大刀洗飛行場に関係のある当時の飛行機模型を多数展示し、飛躍的進歩を遂げた航空技術についてご紹介します。
大刀洗飛行場の空を飛んだ飛行機は、当初輸入機が中心でしたが、やがて国産機へと替っていきました。わずかな期間に日本の航空技術は世界最先端レベルにまで到達し、名機と呼ばれる機体を生み出せるほどになりました。なかでも零式艦上戦闘機は列強の戦闘機を凌駕し、当時の日本の高度な航空技術を象徴するものです。各名機の開発にあたった優れた技術者たちは、戦後も様々な分野で活躍し、多くの功績を残すことになります。
ここでは、戦後に海外で発見され、唯一の現存機である零式艦上戦闘機三二型と、その帰還までの道のりをご紹介するとともに、戦後の復興の中で航空機設計者が果した大きな役割について展示します。